どうも、エスジェイです。
今年で36歳になる私は、今でこそ実家暮らしでUber配達員をしていますが、数年前はレオパレスで一人暮らしをしておりました。
そんな私が、かつてレオパレスで住んでいた頃に強烈に依存していたものがあります。
それが、アニメ専門チャンネル「アニマックス」です。
舐めていた「アニマックスロス」の深刻さ

レオパレスは家具が揃っているだけでななくて、実はネット環境も優秀だったりします。
無料でネットが使えるだけではなく、本来なら有料じゃないと見れないケーブルテレビが独自の配信で見れる環境にあります。
その中でも、私のお気に入りはアニマックスでした。
数年前、レオパレスを退去したタイミングで、当然ながらアニマックスの無料視聴環境はなくなりました。
退去する前は、「まあ、今はNetflixもAmazonプライムもあるし、見たいアニメはいつでもスマホやテレビで見られるから全く問題ないだろう」と軽く考えていました。
いわゆるCS放送のような契約式のテレビは「オールドメディア」であり、自分の好きな時間に好きな作品を見られるVODには全負けしていると思っていたからです。
しかし、新居での生活が始まって数ヶ月。
私は明確な「アニマックスロス」に陥っていることに気がつきました。
「見たい作品を選ぶ」という作業の果てしない疲労感
無限に作品があるVOD環境があるのに、なぜロスを感じたのか。それは、VODが徹頭徹尾「能動的」なメディアだからです。
Uberの配達でクタクタになって帰宅し、さあ休もうとVODのアプリを開く。
ズラリと並ぶ無数のサムネイル。
そこから「今、自分は何を見たい気分なのか」を自問自答し、ジャンルを絞り、作品を選び、やっとの思いで再生ボタンを押す……。
正直なところ、疲れ切っている時には、この「選ぶ(決断する)」という作業すら脳のエネルギーを消費してしんどいのです。
かのジョブズは、日々の選択肢を減らすために、毎日同じ服を着ていたといいます。
心理学では選択肢が多すぎると逆に選べなくなる「選択回避の法則」というものがあるそうですが、まさにそれでした。
リモコン片手にサムネイルを延々とスクロールし続け、結局何も見ずに寝落ちしてしまう夜が何度もありました。
「ただ流れている」という究極の受動的な癒やし
アニマックスという昔ながらのテレビ放送は、完全に「受動的」です。
部屋に帰ってきて、とりあえずテレビをつける。
すると、自分が選んだわけでもないのに、画面の向こうで勝手にアニメが流れている。
「見たいから見る」のではなく「やっているから見る」。
この、ただ情報の波に身を委ねるだけの時間が、情報過多で疲れ切った脳には最高にラクで心地よかったのです。
VODには絶対にない「偶然の出会い」
さらに受動的メディアの素晴らしい点は、「偶然の出会い」があることです。
たまたまテレビをつけた時間に、子供の頃に夢中になったアニメが流れていたり、深夜のノイタミナ枠のようなちょっと大人向けのアニメが中途半端な「第4話」から放送されていたりする。
自分からわざわざ検索してまでは絶対に見ないタイトルです。
しかし、なんとなく画面に流れているからぼーっと見ているうちに、いつの間にか世界観に引き込まれ、気づけば最後までガッツリ見てしまう。
この「予期せぬ面白さとの遭遇」は、私の視聴履歴からアルゴリズムが「あなたのおすすめ」ばかりを提示してくるVODには、絶対に作れない体験でした。
結論:たまには「選ばない贅沢」を
時代遅れだと言われがちなテレビ放送(CSチャンネル)ですが、「ただそこに流れている映像をぼーっと見る時間」は、現代において信じられないほどの癒やし効果を持っていたのだと思い知らされました。
なんでも自分で選んで、効率よくカスタマイズできる便利な時代です。
しかし、たまには誰かが決めた番組表に乗っかって「選ばない」という選択肢を持つことも、頭を空っぽにして静かに暮らすためには必要な知恵なのかもしれません。